シーホースとナッツ

初めての子育てに奮闘中。新米パパ目線で、思ったことなどを書いていきます。

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男性の育児参加は女性差別解消とセットで

■「イクメン」は根付いたか

「イクメン」という言葉も広まった昨今、
男性有名人などからも育児に積極的に関わろう
という動きが数多く見られるようになり、
日本全体でも着実に育児に関わる男性の数は
増えているのだろうと思います。
若いうちから育児に関心を持つ男性が
多くなってきていることももちろん、
これまで一切関わることなく生きてきた男性が
何かのきっかけで変化してくれているのだと
すれば、それは喜ばしいことと思います。

ただ、そのような流れの中で、1つだけ
気になっていることがあります。
それは、男性の皆さんが一体「何のために」
育児に参加するようになっているか、
その理由の部分。

たとえば「イクメンプロジェクト」の活動は、
ムーブメントそのものの盛り上がりによって
参加者を増やし、潜在的な男性の行動を
喚起しようとしているように見えました。
その為にはまず「盛り上がること」が最優先で
「何のために」の部分はある程度端に置かれ、
・かっこいいから
・とにかく皆がやってるから
・それが時代のスタンダードだから
というイメージを先行させていく
取り組みのように感じられました。

実際その波に乗って、意識を変化させていった
男性も多いのだろうと思います。
そして今も一生懸命育児に邁進している男性も
きっとたくさんいるんだろうと思います。
しかし、その「何のために」が抜け落ちたまま
育児に取り組んでしまったことで、
その後「やってみたけど続かなかった」という
男性もあるいは出てきているのではないか、
という心配があるのです。

・かっこいいから
というのは、いわば今までの男性の価値観を
そのまま踏襲するものです。
つまりその方向で押し進めていくことは、
・モテるから
・人より上位に立てるから
・そっちの方が男らしいから
というように、元々男性の中にある
良いとされる価値観の延長に
ただ「育児」を持ってきただけ、ということに
なりかねないのではないか。

男性自身も、もしそのノリのままで
特にこれまでの自分と向き合うこともせず、
既存の価値観にのっとって行動だけを
変えようとしたとしても、やはり長続きは
しないのではないかと危惧しています。
「かっこいいから」という理由で始めたことは
「かっこ悪いから」という理由でやめてしまう
可能性が高いと思うからです。

実際は育児なんて地味で単調な作業の連続で、
全くこちらの思い通りになんかならなくて、
何の成果も上がらないように感じられること
ばかりです。かっこいい訳がないのです。
さらに、小さな頃から周りに
家事・育児の役割を担うことを期待され、
知識も技術も多くの蓄積がある妻に対して、
付け焼刃で始めたばかりの夫のそれが
そうそう上回っているはずもなく、
当然家庭内でのスキルの差は歴然です。
それを受け入れられない男にとってその状況は
やっぱりかっこいい訳がないのです。

育児で「かっこいいから」を理由にするのは、
現実には相当無理のある切り口だと思います。

■男性の差別意識はある前提で

そうやって考えていくと、思い至るのは
男性が持続的に育児に取り組む為には、
その前にまず自身の男性としての価値観と
向き合うことから始める必要が
あるのではないか?ということです。

その人に備わった男性としての価値観、
中でも特に「女性への差別意識」です。

以前、男性の育児参加を推進する取り組みを
している方が、「女性が言ってもなかなか
聞いてもらえないことも、同性からの声だと
意外にすんなり耳を傾けてもらえる」という
発言をされていたのを見たことがあります。
なぜ、そのようなことが起こるのか。
それは男性の側に
「女性の声は聞く必要がない」
「女性の言っていることは聞きたくない」
という意識があるからではないのか。
話の内容云々以前に耳を塞いでしまうのは、
そもそも「誰が発言しているか」によって
対応を変えているということであり、
それが即ち「差別意識」ではないのかと
思うのです。

文献を見る限り、確かに日本には古くから
男尊女卑の価値観が存在していました。
中でも高度成長期には、男性を賃労働、
女性を家庭での仕事に専念させることで
効率を高めようとした流れがあり、
それによって「外の仕事は男が担うもの、
家の仕事は女のもの」という考え方が
強化されていった歴史があるようです。

今もその考えは残っていて、多くの男性には
女性を自分より下に見る意識とともに、
女性が担ってきた仕事、つまり家事や育児は
自分達の仕事より劣る、という考えが
なお根強く身についていると思われます。
もちろん、それはその人自身の責任でも
何でもなく、社会全体がそのような価値観を
子どものころから押し付け、植えつけてきた
結果として、歴史的事実としてそうなのだろう
というだけの話です。

そして、男性にはそういう意識が自分の中に
あるという認識すらない人もいるでしょう。
生まれた時からそうなっていて、
だからといって別に何の不都合もなく、
周りを見てもその考えに疑問を抱かせる
ようなものも何もない状態であれば、
わざわざ「自分は差別をしている」なんて
意識する必要もきっかけもないと思います。
というより「かっこいい」に代表される
「男らしさ」の中に、そもそも女性への蔑視が
含まれてしまっている以上、むしろ
「男らしくあれ」という教えに忠実な人ほど
その意識が体の中に自然に備わって
いるのではないか、と思えるほどです。

だからといって、そんな感覚を持つ男性が
そのまま「ありのまま」の状態で
育児に手を出すのは、やっぱり不安です。
それは男性自身にとってというより、
育児の分野そのものにとってもです。

■差別意識から解放されると

もしこのまま男性が、「かっこいいから」
「モテるから」「上位に立てるから」という
旧来の「男らしさ」に疑問を持つこともなく
育児に参加するようになっていくと、
どんなことになるのでしょうか。

仮にそういう男性がどんどん入ってきて、
「こんなのおかしいよ」
「もっとこうできるだろうよ」
「俺達が変えてやるよ」
と強い力でどんどん育児の現場や周辺の環境を
変えていくような流れができたとして、
果たしてその末に出来上がるのは
本当に誰にとっても素晴らしいものなのか。
「男だけに都合の良い育児環境」に、
なってしまいやしないだろうか。

考えすぎかもしれませんが、
今の日本において、政治やビジネスの世界は
完全に男性中心で回っています。
そこへ「子育ての世界もかっこいいぞ」という
イメージをただ作り上げることで、
そこすらも男が中心になって回していく世界に
なってしまわない保障はどこにもないのです。

相変わらず女性が置いてきぼりの、
ただ活動のフィールドが変わっただけの
「男性中心の社会」を作らせないためにも、
育児に入ってくる男性の価値観をきちんと
見極めていくことは必要だと思います。

そして逆に考えれば、もしその人の内にある
差別意識を捨て去ることができたならば、
現に女性中心で取り組まれている育児の世界に
入っていくことへの抵抗感もなくなり、
「かっこいい」にこだわる必要もなくなり、
女性達の言葉が素直に聞けるようになり、
「これは自分の仕事じゃない」といちいち
悩む必要もなくなり、誰よりその人自身が
楽になれる…かもしれない、そんな可能性が
開けてくるのではないかと思うのです。

そうなれば、純粋に子どもの育ちに目を向け
られるようになるだろうし、男女で協力して
問題解決に当たれるようにもなるだろうし、
そもそも「かっこいいかどうか」なんてことを
いちいち理由付けする必要もなくなる。
女性への差別が良くないことは
今さら言うまでもないとして、もっと言うと
「男らしさ」についても育児をする上では
正直「邪魔なもの」でしかないのではないか、
ということになります。

ということで今まさに育児に関わっている
男性の皆さん、
「妻にやり方を指摘されると何かムカつく」
と感じていませんか?
これから育児をやってみようかなと思っている
男性の皆さん、
「こんなもん自分なら余裕でできるはずだ」
と感じていませんか?
はたまた現時点では育児に全く興味のない
男性の皆さん、
「これはそもそも自分のやる仕事ではない」
と感じていませんか?
そういうような感覚があるとしたら、
まず自身の中に女性そのものに対する
差別意識がないかどうか、いま一度向き合って
考えてみてほしいと思います。
そうして自分の内面に気づくことができたら、
それは本当に今の自分に必要なものかどうか、
仮にそれを捨て去ったら一体どうなるのか、
想像してみてほしいと思います。

■社会全体で取り組む問題として

とはいえ、既に自覚できないほど体の中に
差別意識が染み付いている状態で、
そう簡単に考えを変えることなど
できるはずがないのもまた現実と思います。
また男性に限らず、日本人全般に見られる
自尊感情の低さ、「基本的自己肯定感」の
形成されてなさを考えると、
これまでの自分と向き合うという行為は
今以上に自らを否定することにもつながり、
変化に対する恐怖が先に立ってしまう人も
きっと多いのだろうと想像できます。

だからこそこのことを、社会全体が
ちゃんと考えなければならないと思うのです。
社会の構造が、男性の差別意識を生み出した。
だとすればこの問題に取り組み、
解決していく責任は社会にあると思います。
決して男性だけの個人的な問題にしないこと、
そしてもちろんそんな夫を持つ妻に
全てを押し付けて済ませるようなことをせず、
社会問題としてきちんと全員が
目を向けることこそが、第一歩だと考えます。

ここで書いていることは全て、何の専門的な
知識もないただの素人の想像なので、具体的に
「こうすれば差別はやめられる」というような
素敵な解決策を提示できる訳ではありません。
でもきっとどこかできちんと、男性の女性への
差別を生み出す社会的メカニズムについて、
学術的な研究がなされているはずです。
その取り組みがもっと進み、実態が解明され、
対応策も確立され、世間に周知されていって、
それが一人一人の心に根付いていくことが
きっと問題解決への道すじなのでしょう。
我々にできるのは、その後押しをすること。
まずそれが社会全体で解決すべき問題なのだと
認識してもらうために、一人一人が声を
上げていくことなのだろうと思います。

「差別は、する側の問題である」
という話を先日聞きました。
その大前提を忘れずに、
かといって誰かのせいにするのではなく、
でも問題はしっかりと解決されるように、
前向きで建設的な議論と取り組みが
なされていくことを願います。

■選択肢の多い社会になるために

私個人は、男性にもっともっと育児に
関わってほしいと思っています。

それは、現実に育児の現場の人手不足、
つまり育児は母親が一人でこなせるような
生易しいものじゃないという実感もあるし、
一人ではなく多様な人格が関わることが
子どもの育ちにとっても母親の精神衛生に
とっても、良い影響があるだろうという
思いがあるのもさることながら、それ以上に
今のような母親にばかり育児の責任を
押し付ける社会であり続ける限り、
女性が一人一人の自由な生き方を
選択することがかなわないからです。

そして同時に、それは男性にとってもやはり
「育児に関わる権利を剥奪されている社会」
でもある訳です。
ただひたすら働き続けること以外に、
人生の選択肢がないこの社会が嫌なのです。
もう少しバランスよくしたいのです。

今までどおり仕事に専念したい人は変わらず
そう生きられるような、だけど仕事よりも
家のことや子育てにもっと関わりたい人も
同じようにそう生きられるような、
そういう社会であってほしいのです。

だから別に男性に、無理をしてまで
育児をやれというつもりはありません。
むしろ、「俺は育児なんかやりたくない」も、
「男らしさにこだわりたい」も、
胸を張って言ってもらえたらと思います。
男も女も、やりたい人がやりたいことを
やれるのが一番いい。
もちろん現実にはそんなことできっこないのを
わかった上で、でもそれを理想形にして、
じゃあ現実にはどこに落としどころを
持っていけばいいんだろう、そんなふうに
考える流れであってほしい。
誰かが得して誰かが損をするのを、
前提にする世の中であってほしくない。
そういうことで、男性の育児参加も
進んでくれたらと思っています。


最後に、ここからはもう理屈でなく感情で
と断っておきますが、
せっかく縁あって夫婦になって、
しかも子どもまで持つ選択をしたのなら、
やっぱり二人で密にコミュニケーションを
取ってもらいたいし、
互いに協力し合う体勢を作ってもらいたいし、
対等なパートナーシップを築いてもらいたい。

夫だって言うんなら、目の前の妻が何を考え、
どんなことに悩んでいるか、興味持とうよ。
もし妻が死ぬほど苦しんでるなら、
つべこべ言ってないで、動こうよ。
何のために夫婦やってんだ。
好きだからじゃないのかよ。
かっこ悪いくらい何だよ。我慢しろよ。

って、思います。
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| 思うこと | 23:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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一旦はおぼえておくべき「ルール」

最近のきなこにとっての幼稚園は、まだまだ
「楽しいもの」にまではなっていないのか
反動で週末のテンションがすごいですが、
ただ少なくとも「行かなきゃいけないもの」
としては受け入れられるようになったらしく、
朝もさほど困ることはなくなりました。

逆に、毎日のように新しい歌を覚えてきたり
栄養のことについて教わってきたりと
なかなか我々だけでは対応しきれない
いろいろな新しいことを吸収してくれるので、
やっぱり何だかんだ言いつつ
そういう場に行かせてもらえていることは
助かるなぁと感じています。

そんな中、この土日にきなこは家で
「じゃんけん」のルールをおぼえました。
これまでも「じゃんけん」という名前と
グー・チョキ・パーというものがあること
くらいは認識していましたが、今回改めて
何がどれより強いのか、「あいこ」の存在、
また一度出した手は変えられないことなど、
勝敗が決するまでの一連の流れと
詳細なルールを理解しました。
そして本人も楽しさを実感できたようで、
今日も「じゃんけんやろう」というと
その度に喜んで付き合ってくれました。

これは単なる「遊び」としてのルールを
おぼえた、というだけの一例ですが
彼女はこれから先、本当にいろんなことを
社会のルールとしておぼえていかなければ
なりません。
それはもう既に身についている生活習慣や
交通ルール、そして今まさにおぼえつつある
集団生活での決まりごとなど、様々な分野で
パッとは思いつかないくらいの膨大な数を
長い年月かけて理解していくことになります。

そんなにたくさんのルールが一体
何のためにあるかといえば、それはおそらく
この「社会」という共同体において、
それぞれの人がお互いストレスなく
円滑に過ごしていけるようにするため。
あらかじめそれらの決めごとを、相互に
理解しているという前提があるからこそ、
道路でもお店でも幼稚園でも、困ることなく
スムーズに動くことができるのです。
だからこそ、こんなに苦労してあれやこれやの
ルールを身に着ける必要があるのです。

正直、中には「そのルールおかしいだろ」
というものもきっとあるでしょう。
例えばトイレの案内マークはなぜ、
男性が青で女性が赤なのか。
そんなのはイメージの押し付けじゃないかと。
でも、日本のどこに行ってもその色分けが
なされていることで、一瞬で自分の入りたい
トイレを認識することができるし、
そこで不要に脳を働かせて悩まなくて済む。
まずはとにかく「そういうルールがある」
ということを知っておくことが重要で、
さらにそれが何のどんな目的で作られて
いるものなのか、そこまでわかってくれば
案外納得できるものは多いのではと思います。

でもそこまでわかった上で、なお本人が
「そのルールはおかしい」と思うのであれば
それはこちらも止めません。
誰かを傷つけたり自分自身が危険に遭うような
ことでない限り、そこは本人の判断において
反抗なり無視なりすればよいと思います。
むしろ多少のリスクくらいなら、
こちらも親として一緒に負うつもりです。

そういえば本人は最近ピンクが大好きで、
ちょっと前まで好きだった黄色から
すっかり興味が移ってきています。
これも、世の中にこれだけ女の子向けのモノが
「ピンク」を中心として提供されている中、
一度は通る道なのかもしれません。
一旦「女の子向けのはピンクである」という
今の日本でのルールを本人の中で通過させ
噛み砕いた上で、「でもやっぱり私は
こっちの色が好きだからこの色を選ぶ」
という所まで行けたなら、自信を持って
その色を選んでもらえたらと思います。

というよりむしろ、普段から
「らしさの押し付け」に関しては
非常に敏感な我々夫婦なので、逆に本人が
ベタな色を選びたいと言っているのに対して
「こっちの色の方がいいのに」などと誘導して
しまわないよう気をつけたいと思います。

| 思うこと | 23:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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先日の反省と、これからのこと

もはや恒例となった、きなこ→ヨメ→自分と
回ってきた風邪を発症した金曜日の夜のこと。
いつものようにタイムリミットギリギリまで
仕事が終わらなかったので、コンビニで買った
パンとおにぎりを駅に着くまでの間に食べ、
乗り換えの電車に間に合うように
文字通りホームからホームまでダッシュをし、
家に着いたらすぐきなこをお風呂に入れ、
帰りが遅くなるのに比例して激しくなる
きなこの「私と遊べ欲求」に応えるべく
寝る時間直前までヒコーキ遊びをしたり
おんぶしたまま部屋中を走りまわったりして、
ようやく寝かしつけに入るやリビングに戻り
部屋中に散らかったおもちゃを片付けながら、
「やばい!このままだと明日も明後日も確実に
何もいいことないし、気持ちがやばい!」と、
どうにかして今の状況をポジティブにとらえて
ふさぎ気味の自分への励みにせねば!と感じ
その結果飛び出したツイートがこちら。


そんなやけくそ気味な意図があったとはいえ、
このツイートを見るであろう「日々育児の
つらさに苦しむ・苦しんだ方々」への配慮が
まったく欠けていたことは間違いありません。
しかも、過去に自分自身で何度も
パパがママより楽な理由…?
「いいとこ取り育児」を担う身として
こんなことを書いておきながら、
気楽な男親としての己の立場も考えず
あまりにも呑気な発言をしてしまったことは
本当に反省の限りです。

翌朝、ヨメともこの件をしっかり話し合って
改めていろいろなことが整理できましたので、
今回自分への戒めの意味も込めて
「育児に当たる上での男女の立場の差」
についてまとめてみたいと思います。

<1>選択の余地の有無
現状の日本において、育児というのは
男は「やりたい」と思って参加するもので、
女は「やるのが当たり前」とされるものです。
仮に男性個人が「自分もやるのが当たり前」と
小さな頃から思って生きてきたとしても、
社会的にみればまだまだ男性にとって育児は
自ら選択して取り組むことができるもので、
女性に比べれば遥かに自由が効く立場です。
そのくらいのスタンスで取り組めるならば、
自ずとポジティブなものにもできるはずです。

それに対して、選択の余地もなく社会全体から
「やって当たり前」とされている女性にとって
みれば、言わば自由を奪われた状態で、
しかも多くの場合子どもの成長に関わる責任を
一手に背負わされ、自分の子どもが何か問題を
起こしたり、育児することから逃げ出したり、
子どもを持ちたくないなどと言おうものなら
世間からかさにかかって責められる状況。
その重圧の中で、楽しむなんていう余裕など
持てるべくもなく取り組むことになるわけで、
それをポジティブにとらえろという方が
無茶な話だろうと思います。

<2>合格点の差
「やって当たり前」とされているということは
それだけ求められる水準も高くなるはずで、
女性にとっての育児の「合格点」は多くの場合
男性の考えるそれよりも、遥かに高い所に
設定されてしまっていると思われます。
対して男性にとってみれば育児は
未だに「イクメン、かっこいい」なんてことを
その辺でやっているレベルですので、
ちょっと取り組めばすぐ合格点に到達します。
おのずと、それより更にやった分というのは
全てが「積み増し」になりますので、
本人にとっても社会から見ても、評価として
加点されていくことになるわけです。
いくらやってもマイナスからしか評価されない
女性の育児とは、比較にならない扱いです。

<3>受け継がれる内圧
これはヨメから聞いた話なのですが、
そんな社会からの圧力・評価もさることながら
女性が「自分の中での子育ての基準」を
設ける上で、何よりもまず指標にするのが
「自分の母親」なのではないか、という点。
最も身近で見にしてきた母親の育児のやり方が
その人にとっての基準になり、
また母親の持っていた「理想の母親像」が
自身の認識に影響を与える、という傾向は
確かにあるだろうなと思います。

つまり上の世代が家事も育児も全て背負わされ
マイナスの評価しか与えられない中にあっても
なお高い理想を設定し、それをクリアしてきた
母親のもとで育った人ほど、同じように
高い基準点を設けざるを得なくなり、
内面的にも責める気持ちが強くなってしまう。
翻って、そのような外圧・内圧の一切ない
とにかくフリーの状況で育児をしているのが、
今の男性の姿というわけです。

<4>担当業務の違い(我が家の場合)
これは全ての家庭に当てはまることでは
ないかもしれませんが、少なくとも我が家では
普段の生活をヨメが主に見ていますので、
どうしても平凡で単調な業務も多いし
また生活習慣を教えるなど、
叱る必要のある場面も多くなります。
対して、自然とイベントごとの増える
週末を中心に接している僕の場合は、
単純に時間の比較だけでは測れない
「子ども自身のテンションの差」を
プラスで享受していることになります。
加えて、きなこから見ての我々の扱いにも
・ヨメ←安心を求める
・僕←遊び相手
という明確な使い分けがあるようで、
つまり総合すると僕が接しているきなこは
「概ね機嫌がいい」ということになります。
それだけこちらが受け取る好意の量も増え、
嫌な面を見ずに済んでいるということです。


以上、これで全ての要素を書き出せているとは
とても思いませんが、ざっと考えただけでも
これだけの差が母親の育児・父親の育児の間に
存在しているということになるかと思います。
そんな中冒頭の発言は、その男女の立場の差を
一切無視した言わば「お花畑発言」ですし、
結果として育児に苦しんできた・今も苦しむ
多くの人を傷つけることになってしまった事は
申し訳ない気持ちでいっぱいです。

でも、ここまで反省の弁を述べておきながら、
なお発言の中で触れていることそのものを
否定する気にはなれずにいます。
育児が誰にとってもただ辛いだけのものならば
もう人類は早く滅んだ方がいいレベルですし、
当然よい面もあるからこそ、これまで何とか
存続できてきたのだろうと思うからです。
ただ、直後のツイートでも触れているように


今の日本において、育児の負担があまりにも
女性に偏ってきた現状、偏っている現状が
最大の問題なのであろうと思われるのです。
パートナーの男性なり、他の家族なり地域なり
社会なりが、そこの育児にかかる責任と業務を
適切に母親から引き剥がすことができて、
誰にとっても過剰な負担になることなく
「辛いけど頑張れる」くらいにまで出来れば、
自然と子どもを育てることの良い面ももう少し
見えてくるのではないかと期待しています。

既に十分すぎるほど辛い経験をしてきた・
している人の心を癒やすことは
今からでは難しいかもしれないけれど、
少なくともこれから先の世代に
「育児も案外悪いもんじゃないね」くらいには
思ってもらえるようになれば…と思います。
その為にもまず、我々男性がいま持っている
「自由が効く立場」を最大限に活用して、
女性が感じる育児のしんどさの引き受けと、
重すぎる責任の共有に取り組んでいくことが
大切なのではないかと考えています。


小学生の頃に妹の育児に参加したことで、
育児をすることは当然と思って生きてきたし
いつかそうすることを楽しみにしてきました。
大きくなって、あまりに育児というものが
ネガティブにとらえられている現状を知って
残念にも思ったし、どうにかして皆がもっと
子どもを育てることに前向きになれないか、
ぼんやりとではありつつ強い願いを持って
こうして実践もしてきたし、このブログ含め
色々な所で意見の発信もしてきたつもりです。

本当なら男も女も関係なく、どちらも同じ
「子育てという高い壁に挑戦する同士」として
励まし合ってやっていきたいと思っていた
けれど、現実にはこの国の多くの人の考え方も
社会に流れる空気にも「男が育児すること」と
「女が育児すること」には大きな違いがあり、
決して同じようにはできないのだということが
だんだんとわかってきました。

正直、こんな社会しか残してくれなかった
上の世代を恨めしくも思うし、こんな考え方の
蔓延するこの国がとても嫌だと思っています。
でも、もうすぐいなくなるその人達のことを
いくら責めても社会が変わるわけでもないし、
親である以上は次の世代のことを考えて
今できる精一杯のことをするしかないのだと、
何とか気持ちを立て直して前向きになるべく
いろいろな可能性を探っている最中です。

こうやって発信すること自体も、男である以上
ぬるま湯の中から喚いていることは事実ですし
そのことはきちんと自覚したいと思います。
その上でなお、自分の発言が誰かを傷つけて
いないか、前向きになろうなろうとすることが
却って誰かのプレッシャーになっていないか、
今まで以上に気を配っていきたいと思います。

ただ今回、改めて今の自分の余裕のなさに
この失言を通して気づくことになりました。
ツイッターやブログで何かを発信することで
たくさんの方から頂けるリアクションが、
つらい日々の中で生きる活力になっていたのも
事実ではありますが、少し足元を見直して、
もう少し余裕を持ってものを考えられるよう
その距離を図っていければと思っています。

まずは明日から受付が始まる確定申告と、
(初の青色申告に軽くパニック中)
4月に迫ったきなこの入園準備と、
目下つわりと格闘中のヨメのサポートを、
再優先に考えて取り組んでいきます。

| 思うこと | 22:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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企業に「働くママに寄り添う」前にやってほしいこと

サイボウズという企業の、
働くママたちに、よりそうことを。
と銘打った取り組みの件。

今年に入って公開された第2弾のムービーにも
実に多くの意見が出されていますし、
私もTwitterで散々苦言を書いたので、
もうこれ以上何も言わないでおこうかと
思っていたのですが、やはり大事なことなので
改めてまとめておこうと思います。

Twitterでは、どうにも一人だけ方向性の違う
怒り方をしていた気がしますが、
ここでも例の「パパにしかできないこと」と
いう映像の中身について、細かく言うつもりは
あまりありません。
「作業は分担しても責任は分担しないで」
「役割ではなくタスクとリソースの問題」
「向き不向きを言ってる場合じゃない」
夫婦の役割分担の話は
このサイトで何度も言ってきたことですし、
当事者である「働くママ」の皆さんが
存分にツッコミを入れて下さっていますので、
そちらを読んで頂ければと思います。
そのことよりも書いておきたいのは、
「企業として、日本の子育てに問題意識を
 持っているのなら、何をして欲しいか」
についてです。
かなり長いですがご容赦ください。


■日本の子育ての問題点

あくまで個人の感覚ですが、今の日本に対して
私は「非常に子育てのしにくい国」だという
印象を持っています。
理由は子育ての当事者である皆さんには
今さら言うまでもないことかもしれませんが、
大きく分けて「お金の問題」「時間の問題」
そして「意識の問題」が子どもを育てる上での
障害になっているように見えます。

お金というのは、非正規雇用で働く人の割合が
増加して、貧困が拡大していることなど、要は
「子育てするのに必要な収入が得られない人」
が増えているという問題です。
特に、再分配後の方が子どもの貧困率が
悪化している
という話もあるように、
社会として制度がまともに機能していない
状態の中で、「無理ゲー」などと言われながら
私たちは子育てをしています。

そして時間の問題というのは、被雇用者の
「長時間労働」のことです。
労働者である(主に)男性を会社に縛り付けて
彼らから家事・育児に使う為の時間を奪い、
反対に女性は家の中に閉じ込め、家事育児等の
「無償労働」を押し付けてきた社会。
結果、男は仕事以外のことに目を向ける
余裕など持てないほど働かされ、
女は元々背負わされてきた家の仕事を
抱えたままで外に働きに出ることになり、
仕事・家事・育児の3つの役割を
同時に一人でこなしているような状況です。

最後の「意識の問題」も同じことで、
「男は仕事、女は家事育児」という
ジェンダーによる固定化された役割意識は、
元を正せば企業を中心とした社会が
男を労働力として使い倒すために作り上げた
高度成長期以後の仕組みでしかないのに、
まるで初めから決まっていたかのように
今も日本人全体に深く染み付いています。
そのことが、時代の移り変わりに柔軟に
対応することを妨げ、結果として働き方の
選択肢を社会全体として狭めることに
なってしまっているわけです。
加えて、ここでは敢えて詳しく触れませんが
日本人の「男尊女卑」の問題も、同じく
意識の問題として大きく横たわっています。

終身雇用を盾に男は家の仕事から遠ざけられ、
その制度が崩壊し、もはや一人分の稼ぎでは
家族を養えないようになった今もなお、
相変わらず労働時間は長いまま。
そして女はその労働価値を低く見積もられ、
稼ぎ手となった後も正当な評価を得られず、
しかも役割意識は時代の変化に追いつかず、
家事育児労働も他の担い手はいないまま。
まさにあのサイボウズのムービーのような
つらい状況に追い込まれる働く母親を
次々に生み出し続けている、というのが
今の日本の育児をつらいものにしている
問題点である、というように見ています。


■個人ではどうしようもできないこと

本来これらの問題を解消できるのは、
「制度を作る」というとても大きな力を
持った「国」なのでしょうが、残念ながら
個人的にはそこに全く期待が持てずにいます。
現政権は、むしろ女性差別を助長し
性別による役割分担を強化させる方向に
進めたがっているように見えますし、
子育てを巡る状況は改善されるどころか
ますます悪化して行っているように見えます。

そして、次に問題解決のカギとなるのが、
良くも悪くも経済中心で回っているこの国の
将来を左右するほどの影響力を持った
「企業」という存在だと思っています。
というより、「非正規雇用による低賃金」も
「長時間労働」の問題も、元凶はここにある
と言っていいんじゃないかと考えています。
法人税減税とか、残業代廃止とかのニュースが
流れてくる度に、これだけ経営側にとって
都合のよい仕組みを作り上げておいて、
しかも国民は文句も言わずに働いていて、
まだ何か足りないものがあるの?くらいに
思ってしまうわけです。

翻って個人レベルではどうかというと、
以前TVで見たとある子育て夫婦の例ですが、
夫さんは朝も暗いうちから出勤し、
夜も日が替わる頃にやっと帰ってくる生活。
しかも非正規雇用で賃金もたかが知れてる、
奥さんは当然家から出て働きに出ることなど
できるわけもなく、一日中子どもの世話を
し続ける毎日。そんな人達を見てもなお、
夫さんに「もっと子育てに協力して」とか
「奥さんの気持ちに寄り添って」とか
言えというのか?という気持ちに
ならざるを得ません。

また我が家の例ですが、昨年は5年間働いた
会社で「雇い止め制度」の煽りを食い、
契約社員を続けられなくなりました。
正社員への道は提示してもらえたものの、
それはつまり周りの他の正社員と同じく
「毎日終電間際まで残業がある」という状況を
受け入れる、という道です。
今の孤立無援な状況で、現時点で自分が
「家事育児要員」として離脱するわけには
どうしても行かず、残念ながらその選択肢は
断念するしかありませんでした。


■企業だからこそできること

もちろん、自分のやりたいことばかりして
家庭を顧みないひどい父親もいるでしょう。
反対に、夫とのコミュニケーションを
図ることもせず、一人で全てを抱え込んで
今にも潰れそうになっている母親だって
きっといるだろうと思います。
でも、いくらそういう個人が意識を変えて
家庭の環境改善に目を向け、家のことが
潤滑に運営されるようになったとしても、
やっぱり一人一人の頑張りだけでは
どうにもならない「壁」があると思うのです。

だからこそ、そこは企業に動いてもらいたい。
今の長時間労働が当たり前の社会を、
企業の側から打ち崩してもらえなければ、
無力な我々個人がいくら頑張り続けても
社会を劇的に変えることなどできません。
というより、社会を変えるための力すら
持てないほどに、日本人は労働というものに
縛られているというのが現状だと思います。

サイボウズという会社は、その中でも
個人的に期待をしてきた企業でした。
これまでも社長自ら育休を取得したり、
「男性もまた抑圧されている」と説く
男性学の助教授と対談したりと、
「働き方の効率化」を促進させるという
本業以外にも、様々取り組みをされています。

今回も、ワーキングマザーが置かれている
状況に目を向けようとしていると聞いた時、
かなり期待をしたのも事実です。
でも蓋を明けてみたら、その取り組みは
あまりにも思っていたものとは違いました。

映像を作って、それをWebで公開することが、
彼らが考える問題意識を解決する上で、
本当に最善の手段なのでしょうか?

もちろん、働くお母さんのつらさに目を向け、
気持ちに寄り添うことは大切です。また、
家事育児を自分のこととして捉えられずにいる
父親の意識を変えていくことも、もちろん
やっていかなければならないことです。

でもそれは、企業がやることではない。
目の前で苦しんでいる妻の気持ちに寄り添って
話を聞いてあげることも、理解に乏しい夫に
自分の苦しみをきちんと伝え、一人では
抱えきれない負担を分かち合っていくのも、
お互いのパートナーや、身近な人の役割です。
少なくとも、それは一企業がやることではなく
個人のレベルの話か、むしろ反対に社会全体で
取り組むべき非常に大きな話だと思うのです。

企業として社会を変えたいのなら、やるべきは
家庭の事情にいちいち首を突っ込んで
「もっと奥さんを気遣いましょう」などと
説教することではないはずです。
そんな余計なお世話を働くくらいなら、
まさにあなた達の管轄分野の問題である
長時間労働に目を向け、それを解消できる
「制度」を作ることに積極的になって下さい。
ポエム的なメッセージで一般人の意識を
変えさせようとなどする前に、
そういう実績を積み上げ、明確な事実として
「具体例」を世に示していってほしいのです。
それこそが決して個人にはできない、
企業だからこそできる最も効果的な
「社会を変える取り組み」となるのでは
ないでしょうか。


■トップランナーとして

例のムービーに対するネットの反響の中には、
「問題提起しただけでもすごいことだ」
というような意見もありました。
でも、そんなのは得意先に売り込みに行って
プレゼン資料の冒頭部分だけを話して
「あとは後日…」と言って帰るようなもので、
私がそのプレゼンを受ける側の社長だったら
まずそんな会社とは取引しません。
どうしてもフックとして映像を使うなら、
その先にどういうゴールを設定していて
どんな方法で解決への道筋を作っていくのか、
という全体的なビジョンを示して初めて
成り立つことではないかと思います。

また、「あまり意識の高いこと言っても
響かないから、あれでよかったのだ」という
意見に関しても、以前から言っている
イクメン」の話と通じるのですが、
もともと周回遅れの状況なのに、最下位の
カメに合わせて「ゆっくり走れ」などと
言うのは、結局全体の歩みを止めさせるし、
むしろ頑張っている人達に対して失礼です。
先に行けるのならさっさと先に行って
頂上の地ならしをしておいてもらうのが、
その脚力を与えられたウサギの能力を
最も評価するということだと思うので、
今回まるで後ろを振り返るように
「家事育児に積極的でないパパに向けて」
などというメッセージを出したことを、
もっと怒っていいと思うのです。
そんなことしてる場合かと。

全体の底上げをすることも悪いことでは
もちろんないですが、今回のケースで言えば
そうやって走るペースを落とさせることが
日本社会の「何をやっても無駄」という
倦怠感につながっているようにも思えるので、
むしろサイボウズにはトップランナーとして
どんどん先に行ってもらって、
理想の形を「モデルケース」として我々に
見せてもらった方が、よっぽど希望が湧くし
応援したい気持ちになるというものです。


■見極め、評価する力を

ここまで大きなことを言っておいて何ですが、
私は一介のフリーランスに過ぎませんので
政治のことも経済のこともほとんど素人です。
ここまで書いてきたことも、別に何かデータの
裏付けがあってのことではなく、聞きかじった
僅かな知識と、あとは全て想像です。

でもこんな人間でも社会の一員ですし、
何より自分の子どもを未来に送り出すという
役目を持った「親」でもありますから、
少なくとも身近な「子育て」という分野で
何とか社会を変えようという志を持った
サイボウズという企業のことは、これからも
もっと注目していきたいと思っています。

そして、素晴らしい取り組みにはきちんと
評価をし、もし足を引っ張るような動きや
歩みを止めさせるような声が上がるなら、
それに対してもきちんと批判できるように
こちらも見ていくつもりです。

「働くママたちに、よりそう」と
彼らが言うのであれば、もちろん
社内にはそれを支援する制度が整っていて、
ちゃんと男女の給与水準は同じになっていて、
決定権を持つポストには男女が同数か
それに近い数で就いていて、当然のごとく
次期社長の席も、男女ともに同じ可能性で
門戸が開かれた状態である。
少なくとも、それを目指している企業である。
という前提で今後も見極めていかなければ
ならないと考えます。

そしていつか、サイボウズが先頭を切って
作った道筋を他の多くの企業も追随していき、
結果としていつか日本全体が
今よりもずっと子育てに優しい社会に
なっていることを、心から願います。

| 思うこと | 23:22 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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バランスを取るということ

この度、人生何度目かの、ちょっと大きな
節目を迎えました。いいタイミングなので、
以前からちょっと考えていたことを
ダラダラと書き連ねてみようと思います。

実はこれまで丸5年勤めてきた会社を辞め、
フリーランスになることになりました。
といっても「独立開業」みたいなかっこいい話
ではなく、「5年雇い止め制度」のせいで
元々非正規雇用だった契約が終了したのです。

会社からはありがたいことに、正社員という
選択肢も提示していただきましたが、
そこには総合職としての道しかない為、今の
・子育て最優先
・自分の裁量で早く帰れること最優先
の状況を考え夫婦でよく話し合った結果、
業務内容はこれまで変わらない状態で
フリーにならせてもらうことを選択しました。

未来を考えると不安で死にそうになるので
いま目の前のやれることをやるだけですが、
「日本で子育てするなんてぜいたく」などと
おかしなことを言われないためにも、
たとえ定職に就いていなくても、
シングルインカム・シングルポケットでも、
親兄弟が近くに住んでいなくても、
地縁が何ひとつない土地に暮らしていても、
周りに友達がろくにいなくても、
子育てはできるんだ!ということを
身をもって証明していきたいと思います。
うそです。
別にそんな立派な志は持っていませんが、
少なくとも家族が行き倒れにならないように
精一杯頑張っていこうと思います。

ただ、実はこの「頑張る」ということに関して
少し前から引っかかっていることがあって、
それは「こういう日本人の”自己犠牲精神”が
社会が良くなることを妨げているのでは?」
という考えのことです。

例えばスポーツ選手が、またはアイドル歌手が
自らの身を削ってまで期待に応えようとする。
またそういう行為を、美談としてもてはやす
ような風潮が日本にはあるように見えます。
「個人の頑張りに押し付ける」の話で言えば
子育てにおける母親なんていうものは、まさに
この図式によって長年苦しんできている訳で、
その考え方を改めなければ日本の社会は
ちっとも良くなっていかないのではないか?
という思いも実は持っていたりします。

本当は、つらいのならつらいと言える社会。
誰か一人に負担が偏るのではなく、
全員が手を差し伸べあってやっていく社会を
少なくとも「目指そう」としていくことが
望ましいあり方だと個人的に思っているので、
ここで自分がただ「仕事も家事も育児も
精一杯頑張ります!」と言ってしまうことは
誰かの首を絞めていないか?という問題です。

それはたとえば目の前のヨメだったりするの
ですが、要は「自分が背負い込んで頑張ると
却ってヨメを息苦しくさせないだろうか?」
というようなことを、実はずいぶん長く
頭の片隅で悩み続けてきたのでした。

で、現時点で何となく出ている答えは、
「本人に余力があるならいいんじゃん?」
ということです。
上の「手を差し伸べあって」という社会も、
誰も彼もが同じだけ手を伸ばせと言って
いるわけではなく、その人その人の持てる力や
その時々の状況に応じて「伸ばせる分だけ
伸ばしてね」ということだと思うので、
逆に「今は余裕がないから助けてもらう」も
もちろんアリなわけです。

それで考えると、今の自分自身の状況は
体はいたって健康だし、お母さんが負いがちな
プレッシャーや強迫観念からは自由だし、
男としての規範意識なんて元々感じてないし、
言ってみれば「余裕ありあり」な状態です。
実際にはここ数ヶ月、仕事のピークの時期と
相変わらずイヤイヤMAXのムスメの入園準備、
そして開業に伴なういろんな準備とが重なって
正直倒れんばかりに弱ってはいましたが、
それが落ち着いた上で冷静に状況を考えれば
全然まだまだ動ける立場です。

以前も書いた通り、自己評価が低い人間なので
自分がそういう日本人的自己犠牲精神に
寄って行きがちであることは否定しません。
だからこそ必要なのは、常に自分自身を
チェックする目を持つことではないのかな、
と思っています。
体力面ならあとどれくらい余力があるのか、
精神面では本当にそれは自分が納得して
取り組めていることなのか。
そこに隠れたストレスや我慢はないのか。
そういうことを常に自分でチェックして、
それでバランスが保てると判断できるなら
その時はGOすればいいのだと思います。

先ほどのスポーツ選手などの例も同じで、
本人がきちんと自分と向き合った上で
誰かや何かにやらされているわけでもなく、
納得の上でやりたいと判断していることまで
他人がどうこう言うことではないと思います。
もし冷静な判断ができない状態であれば
その時は第三者の目が必要でしょうが、
本来は自身の自由意志が尊重されるべきです。

しかし、日本において何より問題なのは
「それを他人に押し付けない」という大前提が
あまり徹底されていないことなのではないか、
と思います。
本人がやりたいのならやればいい。
でもそれを見て「お前もやれ」となるのは
おかしい。
できる人もいればできない人もいるのが
当たり前のことで、だから個人の頑張りに
任せたのではバラつきが出るのも当然で、
そこを社会としてちゃんとバランスを取るべく
受け皿を用意しなければいけない。
そういう取り組みを疎かにしすぎてきたのが
今の日本のように感じます。

基本的に、どちらかに偏っているというのは
あまり良い状態ではないのかもしれません。
利他的であることも利己的であることも
それぞれ良い面と悪い面があるわけだけれど、
偏りすぎればバランスが崩れてしまう。
個人で言えばそこは自己チェックをすることで
行き過ぎが起きないように調整が必要だし、
社会もまた然りなのではないかと思います。

ついでにもう一つ、最近Twitterの方では、
出産・育児のことを通じて感じた
日本のあまりの女性差別を何とかしたいと
あれこれ取り組みを行っています。
もちろんこれも余力の範囲でやっていますし、
できないと思ったらすぐ手放すつもりですが、
あれについても「そういうことを言う男性が
あまりにも少ない状況」を見かねて、
バランスを取ろうとしている部分は
あるような気がします。

もちろんいろんな意見があっていいし、
議論そのものの多様性は認められてしかるべき
だとは思っているのですが、
今のTwitterを端から見る限り、あまりにも
女性差別に反対する男性の声が少なすぎる。
だからもし、もっとそちら側の男性の主張が
今後盛り上がってきて、自分の役割が
必要ないと思えた時には、遠慮なく身を引いて
他のことに取り組みたいと思っています。

終始とっちらかったことを書きましたが、
そんなふうに偏り過ぎな状況に入っていって
バランスを取る役目を果たすのが
自分にとってとても気持ちの良いことで、
だから今まで生きてきてずーっと
多数派になったことがないのかな?
ということに気づいた人生の節目の夜でした。

明日からもまた平常営業です。

| 思うこと | 23:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「なぜ自分は育児をするのか」 をあえて考えてみる

このブログの検索ワードを見てみると、
圧倒的に多いのが「産後」のことです。
実際、例の産後クライシス記事以来
幾度となく触れてきた話題なので
そりゃそうかなぁという気もするのですが、
そこに続く第二検索語も見てみると
「産後 旦那がストレス」
「産後 夫 理解してくれない」
「産後 夫 育児しない」
といった具合なので、やはり産後の夫に対する
不満を持った方が多く見に来ているようです。

せっかく見に来て頂いたのだから…と思いつつ
最近は2歳児のイヤイヤへの対応で
正直いっぱいいっぱいなのと、
産後クライシス周りのことに関しては
以前に対策として書いたとおり
「事前にきちんと知識を身につけること」と
「夫婦でコミュニケーションをとること」で
ほぼ言いきってしまっている感じなので、
それ以上特に新しく書くことも
見つけられなかったりします。

でもそんなふうに「喉元すぎれば」とばかりに
当事者じゃなくなった途端に
無関心になるのもやはり気が引けるので、
ここは一つ原点に立ち返る意味も込めて
「そもそも自分は何で育児をするんだろう?」
ということを考えてみようと思います。
自分自身と向き合ういい機会にもなりますし、
「夫」のはしくれとして考え方をさらすことで
事例の1つくらいに捉えてもらえるならば、
書いてみる意義も少しはあるかもしれません。

とはいえ、実は「何で育児をするのか」なんて
わざわざ考えたことなど一度もありません。
案外多くの親の皆さんもそうなんじゃないかと
思っているんですが、いちいちそんなことで
悩む暇もないというか、あえて出したとしても
「そこに子どもがいるから」くらいの理由しか
思いつかない、というのが本音です。
ただ流石にそれでは話が終わってしまうので、
何とかもうちょっとひねくってみます。


■少なくとも「かっこいいから」ではない

巷で見かける「イク○ン」という言葉。
どうやら「育児する男はかっこいい」という
イメージを打ち出して男性の育児参加を
促す向きがあるようですが、
「かっこいい」という要素が育児に取り組む
理由になることは特にありません。
逆に「じゃあカッコ悪ければやらないの?」と
考えてみれば明確ですが、そんなのは
判断材料で何でもなく、どのみちやるのです。

「チヤホヤされたいんじゃないのか?」
という話で言うと、ブログやTwitterなどで
何かを発信することは確かにチヤホヤされたい
というか、周りからの「承認されたい」欲求が
かなりのモチベーションになっています。
ただそれはあくまで記事という「文章表現」を
一種自分の「作品」と考えているからで、
作品をほめられることが嬉しいというだけ。
子ども自身はもちろん自分の作品ではないし、
何か結果を求めて取り組んでいるものでも
ない訳だから、そっちのことと子育てをするか
どうか、ということとは全く別の話です。


■メリットや条件は判断材料ではない

よく聞くのが「育児はこんなメリットがある」
という話。自分でも時々言ったりします。
例えば「成長を目の前で見ていられる」とか、
「多様な状況判断能力が身につく」とか。
シンプルなところでは「とにかくかわいい」
「喜びを感じられる」とかも。
きっと全てその通りなのでしょうし、
そう思えるのはとてもいいことだと思います。
でも正直な話、自分自身がそういうメリットを
わざわざ並べ立てて、総合的にはプラスだから
育児をやろう!などと考えたことはないです。
メリットゼロでこんなつらいことやるのか?と
問われたらどうなるかはわかりませんが、
幸い今までそんな判断を迫られたことはないし
少なくとも「やろうかな、やめようかな」
なんて悩むようなものではありませんでした。
最初からごく自然に「自分が取り組むもの」と
認識していたように思います。

同じく「共働きだったら当然やるでしょ!」
「こんな時代なんだから、男もやらなきゃ!」
みたいな意見もよく見かけるんですが、
そこも果たして条件付きなものなのか?という
疑問が湧くのです。
「こうだったらやるべき」というのは、逆に
「こうだったらやらなくていい」というものも
作りだしてしまう考え方なので、
それは少し違う気がします。
家庭環境がどうあろうと、時代がどうあろうと
まず「やる」ことが前提にあって、
もしやむを得ない理由があれば
やれない場合もある、くらいのものが
自分にとっての子育ての位置づけです。


■自己犠牲なのか?

家庭という場があって、妻と子どもがいて、
その中でただ役割を果たしているだけなのか
どうかということに関しては、少し考えます。
お金が必要だから仕事もするし、
人手が足りないから家事も育児もするし、
パートナーだから妻の心のサポートもする。
そこまで家庭のために、他の人も自分を犠牲に
できるものなのだろうか?という点です。

自分は元々の性格として自己評価がとても低く
また過剰に周りに気を遣ってしまうために
つい自分よりも他人を優先しがちで、
さらに「自分さえ我慢すれば」と考えるあまり
結果的に負担の抱え込みすぎで己の方が
先に潰れてしまい、かえって家族に迷惑を
かけてしまうこともよくある人間です。
その点は今後も気をつけるとして、
さて果たして「他人のため」だけで人は
生きていけるのか?を突き詰めると、
実際は決して他人のためにやっているばかり
ではない、ということに気づきます。

要するに、「誰かのために何かすることの
気持ちよさを知っている」というだけで、
結局は自分のためなのです。
それは相手からの感謝だったり、
笑顔が増えることだったり、それによって
家庭という空間が心地よくなることだったり。
いろんな要素がありますが、要はそれが
自分にとってとても魅力的なものだという
だけなのだと思います。だから、
「楽しいからやってる」
「やりたくてやってる」
というのは決してウソでもヤセ我慢でもなく、
本当の気持ちです。


■「男らしさ」に興味がない

自分でもどうしてこういう価値観になったかは
あまりよくわかっていませんが、
思い当たるのはまず親。
「うちは貧乏だから」と口癖のように言われて
「ヨソはヨソ、ウチはウチ」を地で行くような
家庭で育てられた影響なのか、
「普通」というよくわからない概念に
縛られずに済んでいるような所があります。
子どもの頃は周りと同じにできないことが
強烈なコンプレックスになっていましたが、
年とともにそれが逆転して行っているようで
今ではむしろ心地よさを感じています。
特に親は「男らしさ」を押し付けるような
ことを言うタイプでもなかったし、
成人してからの自分の生き方に何か指図を
してくるようなこともありませんでした。

おかげで自分自身の趣味趣向もあって
どんどん男性・女性の区別のないところへ
突き進んでいく人間になっていきました。
その延長線上に育児はあったので、
よく「男には居心地の悪い場所」とされる
「赤ちゃん休憩室」も「生理用品売場」も
一切抵抗を感じずに行けるし、
周りが受け入れてくれるかどうかは別として
女性ばかりの場に入っていくことも、
母親向けデザインしかない育児用品を使ったり
することも、特に抵抗感なくできるのです。
特に子育てに関することで言えば
目的はあくまで子どもを育てることなので、
自分がターゲットから外れていようが
多少環境が整備されていなかろうが、
「だって、仕事だから」としか思いません。

そこは「男らしさ」の価値観に縛られている
人にとってはつらいことかもしれませんが、
少なくともきちんと目的意識を持って
取り組める人であれば、どちらの方を
優先すべきかは明確ではないかと思います。


長々と、自己分析的なことを書いてきました。
結局は性別だとか、性的役割分担だとか、
環境だとか特性だとか、そういったものが
何一つ関係ない所にあるのが子育てというか、
もっと人の営みの基本になるものというか
(これを「家事」に置き換えても同じですが)
「やらなきゃいけないことだからやる」
というのが一番しっくり来る感覚です。

人間はいろんなものに理由が必要だったり
「こっちの方が合理的」みたいなことを
突き詰めていくものなのかもしれませんが、
ぶっちゃけ「面倒くさいこと言ってないで
とにかくやれ」と言いたい気持ちなので、
あーだこーだ言い訳ばかりして
家事育児から逃げようとする夫の方には
最終的にはその一言でいいような気もします。

もちろん自分がモデルケースだなんてことを
言うつもりはこれっぽっちもないし、
そもそもヨメだって本当は産後から今日まで
ストレスをたっぷり抱えていて、広い心で
黙っていてくれているだけかもしれないし、
(実際今も懸念に思っていることがあるので
今度聞いてみるつもり)
自分の独りよがりっぷりを思い知る日が
いつかくるかもしれないと思いつつ、
毎日試行錯誤を続けているわけです。

そういうことを日常的にやっている、
世に沢山いるであろう「夫」のみなさんの
1つのサンプルとして、今の時点での
考え方をまとめてみたという話でした。


もともと価値観の違う他人だった者同士が
一緒に生活していく以上は、面倒なことも
たくさん乗り越えていかなきゃいけないし、
衝突もあれば誤解もあって当然だと思います。
そんな所へまたとんでもないストレスのかかる
「子育て」というものが入ってくる訳だから、
やっぱり危機は危機なのだと思います。

そのことをこれから子どもを持つ夫婦は勿論
他の家族も、周りの人も、社会も、みんなが
ちゃんと認識してあげて、どうにかその2人が
破滅にだけは突き進まないで済むように、
サポートして行けたらいいのかなと思います。

| 思うこと | 23:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「パパ」ではなく「家族構成要員その1」

数日前、仕事から帰ってからのことです。
ヨメときなこが目の前で
こんなやり取りをしていました。
「お母ちゃんとお父ちゃん、どっちが好き?」
「おとうちゃん!」

それを聞いて、僕は正直驚きました。
答えの方ではなく、ヨメがした質問の方に。
別にそこは比べるものでも、優劣を付ける
ようなものでもないと思っていたので、
どうしてわざわざそんなことを娘に聞くのか?
という本人の真意が読めずに、
思わずびっくりしてしまったのでした。

ヨメはというと、別にそんな深い意味はなく
ただ何の気なしに聞いただけだったそうで、
僕の反応の方にこそむしろ驚いた様子でした。
実は昼間にも一度同じようなやり取りを
2人でしていたそうなのですが、
改めて何故そんなことを聞こうと思ったのか、
本人の中で振り返って考えたことを
後になって教えてくれました。

曰く、「きなこの目が自分だけに向いている
のではない、ということを確かめたかった」
とのこと。
要するに平日の日中、ずっと2人きりで
過ごしている中で、きなこからの好意を
一身に受けている状態がしんどいと。
だからムスメの口から「パパのことが好き」
という言葉を聞くことで、
その目線が決して自分だけに向いているのでは
ないことを確認して
気持ちを軽くしたいという思いがあった、
ということのようなのでした。

僕はその答えを聞かせてもらった時点で
すっかり合点がいったわけですが、
というのも我が家の場合、というより
僕が普段から最も強く懸念しているのが
この「ヨメの抱える育児ストレス」なのです。
家族3人、他に頼れる所があるわけでもなく
平日昼間は基本母子2人だけの生活の中、
ヨメのストレスをどうやって解消するか
というのは日頃何よりも大きな課題です。

だからせめて土日は極力きなこを引き受け、
2人だけでどこか外へ出かけるにせよ
ヨメだけ外出して我々は家で過ごすにせよ、
とにかくヨメときなこが離れられる時間を
少しでも多く作ることこそ自らの最大の
役目と思って、毎週実践しているわけです。

もっとも実際は一日のうちのたった数時間を
そんな風にしたところで大した効果もなく、
結局それによって解消された分など
あっさり上回るほどのストレスを
きなこはヨメに対してかけてくるわけで、
正直「焼け石に水」と言わんばかりの
自らの無力さに打ちひしがれる日々ですが、
それでもやらないよりはずっといいはずと
信じてとにかく続けています。

そんな状態にいるヨメの、ストレス要因に
なっているものの一つが、
きなこから向けられる「ママが好き」という
思いなのだろうと思います。
好かれることが何でストレスなのかと思われる
かもしれませんが、実際強すぎる愛情は
重く感じられるものでしょうし、
それに応じて強まる責任の重さというものも
また本人にとっては負担なものでしょう。
だからこそその面においても例えば父親が、
子どもからの思いが母親だけに集中しないよう
引き受ける必要があるのだろうと思うのです。

もちろんそれは子どもを甘やかしたり
ご機嫌を取ることで得られるような類の
ものではなく、目指すべきは母親と同レベル。
たとえ母親がいなくてもすぐに交代要員として
立てるくらいの、はたまた子どもにとって
「安全基地」として見てもらえるくらいの、
絶対的信頼感を得られるくらいの存在です。
というより、先日も書きましたが
普段から「いいとこ取り育児」状態で
子どもと接することができる立場にいる以上、
まともにやっていたら「パパのほうが好き」と
言われて当たり前、ぐらいの気持ちで
望む必要があるんじゃないかと思っています。

そのつもりでやって初めて、子どもからも
もちろん母親である自分のパートナーからも
信頼感を得られるものだと思うし、
逆に片手間だったりお手伝い感覚でいれば
それ相応の扱いしかされないわけで、
それでは「妻の育児ストレスを引き受ける」
なんて偉そうなことは到底言えないでしょう。
このブログでいつも言っていることですが、
100%当事者」のつもりで関わってようやく
「親その2」になれるくらいだと思います。


最近つくづく、子育てにおける
その人の役割を決めているのはその人の
「立場」でしかない、ということを感じます。
たまたま父親という立場で関わっているから
そういう役割として子育てをしているだけで、
仮に母親の立場になってそれをやっていたら
今のヨメのようにストレスにまみれて、
それこそ毎日イライラしながら子どもと接して
いたかもしれません。イヤしていたでしょう。

母親は母親で、たまたま「自らの体に
子どもを宿し、産んだ」という立場にいるから
そういう役割を担っているだけであって、
なのに本人の特性とか向き不向きとか関係なく
その役目を果たしていることを考えれば、
父親も「向いてる向いてない」なんてことを
とやかく言う前に、まず自分の立場でやれる
役割くらい全部やっておけと思います。

そこまで行ってようやく対等な立場というか、
晴れて二人揃って順序のない「親その1」に
なれるんじゃないかと思うのです。
それくらい同じ目線に立てたとしたら、
そこで改めて本人達が生まれ持った特性や
「向き不向き」に合わせてそれぞれが担当する
役割を当てはめる作業に進めるんだろうし、
お互いが最もストレスの小さくできる形での
役割分担というものも
出来上がっていくんだろうと思います。

理想論を言っているのは自覚していますが、
個人的な気持ちとしてはやはり家族という
ちいさな共同体の中で、全員が並列に
「家族構成要員その1」になっている状態が
みんなが気持ちよく暮らしていく上では
一番いいんじゃないかと思いますし、
そのつもりでこれからも今の家族の中で
関わっていきたいと思うパパなのでした。

| 思うこと | 23:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「いいとこ取り育児」を担う身として

先日、いつも見ている「MAMApicks」に
こんな記事が出てました。

MAMApicks:「ハレノヒ育児」
 ~子育ての「ハレ」と「ケ」考~


僕も会社勤めをしている以上、
平日の日中ずっと一緒にいるヨメと比較すると
圧倒的にきなことの接触時間は少ないので、
多分僕がやっているのは「ハレの日育児」
ということになるんだろうと思います。

もちろん、年に数回しか会わない実家の両親や
記事に出てくるような月に1度しか会えない
シングルマザーの方の夫さん達に比べれば、
ほぼ毎日お風呂の時間までには家に帰るし
土日もたいてい1日中一緒にいるわけだから、
さほど時間の差は大きくないかもしれない。
それに夫婦で情報を共有して、
きなこと2人きりの日でも平日の生活と
極力違いが出ないようにしているので、
きなこにとって僕といることでの「ハレの日」
の度合は大して強くもないのかもしれません。
だとしても、
間違いなくそこにヨメとの差は存在します。

それは以前にも書いた
きなこが僕らに求めている(ように見える)
それぞれの役割の違いのことでもそうですし、
またヨメからたびたび聞かされている
「僕が帰ってからの方が
 きなこのテンションが高い」
という話からも伺い知ることができます。
それはもちろん、話相手が帰ってきたことで
ヨメ自身が2人きりの時より明るくなるし、
それによって単純に家が賑やかになるから
という要素があるとしても、いずれにせよ
僕がきなこと接している総時間のうち、
「ご機嫌な姿を見ている割合がヨメより高い」
というのは紛れもない事実です。

で、大事なのはまずそうやって自分が
「ハレの日育児」を担当させてもらっている
(”いいとこ取り”をしている)
という自覚を持つのはさることながら、
別にそれが決まり事でも何でもないという
つもりで臨むことかなぁと思っています。
今はたまたま状況がそうさせてはいるけれど、
場合によっては僕が「ケの日」を担う立場で
あってもよいわけだし、実際専業主夫家庭では
お父さんがその立場を果たしているわけだし。
だからいつでも入れ替われるつもりで、
今は「昼間はいなくて、夜遊んでくれる人」
として、きなこの期待に応える役割を
きっちりやって行こうと思っています。

それより何より考えなければならないのは、
そんなきなこにとっての「ケの日」の部分を
一手に受け持ってくれているヨメ自身は、
きなこが生まれて以来ずっと
本人が「ケの日」である、という現実。

子どもを持った多くの女性が経験している
「不自由さ」が一体どれほどのものか
ということを、パートナーである僕らは
しっかり見なきゃいけない。
それは物理的に子どもから離れられない
ということだけでなく、
周囲からの目だったり、
世間が「ママ」というものに持つ
勝手なイメージだったり、
またそこから外れることに対する
得体の知れないプレッシャーだったり。
とにかくそういういろんなものによって
外からも中からも「不自由さ」を
感じさせられるのが、今の(昔から?)日本の
「母親」というものなんじゃないかと、
端から見ていて感じるのです。

対して男はといえば、
月ごとの体の変化からも解放され、
飲める薬・飲めない薬の判断からも解放され、
「女なら言ってもいいだろ」と
相手を見てからベビーカーに向けて吐いてくる
チキンな方々の暴言からも解放され、
「ママは母性があるから耐えられるよね!」
とかいう何の根拠もない激励からも、
「子どもの責任は全て母親にある!」
とかいう全く筋違いな批判からも解放され。
実に自由気ままに子育てに関われる、
そういう立場に男はいるわけです。
「男である」ということで、実は育児に関して
ものすごくいいとこ取りができる状況に
はじめからいるのです。

そのことを自覚し、というより最大限活用し、
例えばそれによって生じる気持ちの余裕を
目の前のパートナーの声に耳を傾けたり
手を差し伸べる為に使うことによって、
少しでもその不自由さの肩代わりができたら。
ほんのわずかでも、「ケの日」つづきで
しんどい妻の気持ちを軽くしてあげたり、
平坦な日々に変化をつけてあげられたら。

つまり「ハレの日」を担うのは
決して子どもに対してというだけでなく、
パートナーに対しても同じだということです。
それが多くの、父親である以前に夫としての
とても大切な役割ではないかと思うのです。

この間ようやく卒乳を果たして
きなこがずっとこだわり続けてきた
「おっぱいを飲んでから寝る」という習慣が
ついに崩れました。
つまりもう夜の寝かしつけをヨメがやる必要も
いよいよなくなったわけです。
これからはぜひ夜の時間帯も視野に、
ヨメ自身の「ハレの日」を作ってもらえるよう
働きかけていきたいと思います。

| 思うこと | 22:29 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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明日のためにその3:で、ぶっちゃけ2人目どうするよ?

最近夫婦で話したシリーズ、最後はこの話題。

それこそ今に始まった話ではなくて、
これまでに幾度となく2人で話をしてきた
「二人目をどうするか?」という重要課題。
要するに、ずーっと結論が出ないまま
今に至る、なわけです。

きなこが生まれる前と後で、一番変わったこと
といったら「想像が現実になった」という
ことなんだろうと思っていますが、
それはつまり「大変さ」についても同じです。
妊娠から新生児の期間がどれほど大変か、
もう想像ではなくリアルにわかる。
1人目の時は「まあ、やってみなきゃ
わからないからね」で突き進めたことが、
今回はもうやってみちゃってる。
しかもそれ×2の負担がどれ程のものかも、
もう痛いくらいにわかってしまうのです。

それに対して、こちら側のリソースが
足りないこともまたはっきりとわかります。
足りないからといって、今回ばかりは
「無策ですー」では済まされないので
何かしらの対策がかならず必要になります。

入院になった時、上の子の預け先はどうする?
産後サポートの依頼先はファミサポでOK?
いざという時は仕事休むとしてその振り先は?
産院は前回産んだちょっと遠い所で大丈夫?
そもそも2人きりなんて絶対無理なんだから、
近所に知り合い作っとかなきゃじゃないの?

そんな、具体的な検討課題が山のように
襲ってきて、どうしても息苦しくなるのです。

ただもちろん「子どもが2人になった状態」
についてはあくまで想像の世界なので、
そこは根拠なく前向きに考えたりもします。

「10ヶ月後ならきなこももうすぐ3歳だし、
イヤイヤも終わって分別ついてるかも!」とか
「下の子が奇跡的に育てやすい子かも!」とか
「子ども達同士で勝手に遊んでくれるから、
1人きりの時よりぜんぜん楽かも!」とか。

でも今度はその向こうに、もっともっと
大きな不安が首をもたげてくるわけです。
「今の日本で2人は無理ゲーでしょう」とか、
「そもそも゙非正規雇用のシングルインカム゙
なんて、子どもが大きくなったとき確実に
生活が破綻するんじゃないの!?」とか、
そんなずっと先の「やっていけるんだろうか」
という漠然とした不安です。
そういう「よい考え」と「悪い考え」が
交互に押し寄せてる状況が、2人をして
いつまでもグズグズとさせてる理由なのです。

情緒的なことだけを考えれば、
やっぱり家族は多い方が嬉しいし楽しい。
ずっと独りきりで生きてきて、
だんだんと家族が増えていった。
その「楽しさ」は、なにものにも代えがたい。
そういう実感が、自分の中にはあります。

でもそういう情緒だけで突っ走って、
あとで取り返しのつかないことに
してしまうわけにはいかないのです。
歳を重ねるとともにどんどん自分が
臆病になっているのを実感しつつ、
同時に体力の低下も身にしみて感じつつ、
「だったらやっぱりなるべく早い方が
 良いんじゃないのー?」という
2人の中のもう一つの声にもほだされつつ、
このグズグズはまだまだ続いていくので
ありました。

まあ、きっとどこかで決断はするでしょう。
その時もし、新しい家族を迎えることに
決まっていたら、もう迷うことなく
その子のことを全力で歓迎してあげたいと
思います。

誰かが言ってました。
「それくらい大切なことじゃけ、
     ブレるんだと思います。」
こればっかりは本当にしょうがないのです。

| 思うこと | 22:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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明日のためにその2:「子育てのあと」にくるもの

最近夫婦で話したことシリーズ、2つ目は
自分たち自身のことについて。

この前の日曜日、一時預かりを利用して
子育てから解放される時間を作ったのですが、
実を言うといくぶん時間を持て余しました。
預けたあと、しばらく本屋でダラダラして、
行きたかった美味しいお店でお昼を食べて、
あとはもう一つ行ってみたい喫茶店が
あるにはあるけどまだお昼食べたばかりだし…
というところで、何だかポッカリ時間が
空いてしまったのです。

結局カラオケに行ってみることにしたものの、
気づけば2人で「Eテレの子ども番組」の曲を
ひたすら検索機で探していました。
「゙オフロスキー゙で4件もヒットしたよ!」
「『ふたりはさかさま』はまだ入ってないや」
「ワンワンとふうかちゃんの
  ゙ふうかちゃん゙って誰よ!?」なんてことを
言いながら、曲もかけずに盛り上がる2人。
もう完全に思考が「子ども中心」なんです。

「子どものことばかりになるのは避けよう」
という話は、別に今に始まったことではなく
もうずいぶん前から言っていたことでした。
子どものことで100%になってしまうと、
もしも上手くいかないことがあった時に
逃げ場がなくなってしまいます。
それに、親から100%の勢いで来られては
きっと子どもの側だってしんどいでしょう。
だからなるべく「もう一つの居場所」を
作っておいた方がいいと常々思っていました。
去年一時的ながら「あま絵」にはまったのも
そういう意味合いがあったわけだし、
特に長い時間きなこと一緒にいるヨメに対して
「そういうものがあったほうがいいよ」なんて
偉そうに言ったりしていました。

しかし実際フタを開けてみれば、結局
時間ができてもやりたいことも特になく、
食事の間も話題はほとんどが子どものこと。
もちろん今はイヤイヤ期でバタバタだし、
それどころじゃない時期なのだといえば
確かにそうなのかもしれませんが、
昨日も書いたとおり「新しいステージ」が
見えたことで、さらにその先にくるであろう
「子育てが終わった後」のことも
何となく想像できてしまったのでした。

子どもはいずれ、親の手を放れます。
しかもそれはきっと思っている以上に早く。
その時に、自分がまるで「抜け殻」のように
なってしまうのは御免です。
今から少しずつでも、将来を見据えて
何か長く打ち込めるものを見つけていかねば、
と思う今日この頃なのでした。

とは言いつつも、今回もやはり無策です。
ヨメは今、大好きなゲームに熱中していて
それがだいぶ息抜きになっているようだし、
そこから人のつながりもできているようなので
よかったなぁと思っているのですが、
僕自身はどうしましょうねぇ。とりあえず
何かを作ってさえいれば満足な人間だし、
まずは「あま絵」の次に打ち込めるものでも
探していくことにしようかなと思います。

| 思うこと | 23:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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